『忘れられる権利』、とても考えさせられました。
今日は最近読んだ本のことを。
タブレットの普及とともに、電子書籍も盛り上がっているように感じます。
CMなんかでも、コミック系の電子書籍サイトがあったりします。
記憶では、しばらく前にGoogleが世界中の本をアーカイブしようとしてヨーロッパ方面で問題になっていたような・・・。(ざっくりしすぎ ^^;)
それから、最近では『忘れられる権利』という言葉も聞くようになりました。
そんな権利についての現状が取り上げられた本を読みました。
神田知宏さん著
ネット検索が怖い 「忘れられる権利」の現状と活用です。
細かい点には触れませんが、内容は実際に裁判や相談で扱われた事柄が取り上げられています。
そういえば、そんなニュースもあったなぁ、ということがどういう意味だったのか、よく理解できました。
最近は、ソーシャルメディアがたくさんあって、投稿内容が事件になったりします。
後々、自分の就職を危うくしたり、人間関係がおかしくなることだってあります。
いろいろなことが検索できるからこそ起こる弊害。
ネット上に拡散するからこその恐怖。
今の如何ともしがたい現状について考えさせられました。
実際に、最近はリバンジポルノを処罰する法律なんかもできていますが、それでも加害者の方が圧倒的に有利で、被害者が対処しようにも難しく、いつまでも被害を与え続けるかもしれない大変な状況があります。
『炎上する』という言葉はよく聞くようになりましたが、実際にいつの間にか自分が被害者になっているとしたら、とても恐ろしい話しです。
結構前だったかもしれませんが、NHKの番組で脳科学の先生が対談している番組がありました。
その中で、とても印象に残っている言葉があります。
正確ではないですが、「いつまでも正確に物事を覚えている人がいるんですが、その人たちに聞くと決して幸福ではないと言う。なぜなら、正確に覚えていて忘れないということは、いついつにこれこれがあったという事実の記憶でしかないので、いつまでたっても思い出にならない。」という言葉です。
※正確でないと思いますので、間違っていたらスミマセン。
とても考えさせられる言葉でした。いつまでもきちんと覚えていられたらなぁ〜、なんて気楽に思っていました。
でも、印象だけが残って他の部分を忘れていくからこそ、思い出になるとしたら、正確な記憶はむしろ事務的で、それは寂しいことだと思います。
辛くても、苦しくても、後から思い起こせばいい思い出になるためには、忘れていくことが不可欠で、いつまでも正確に思い返すことができてしまうと、何度でも同じ苦しみを味わってしまう、それはキツイと思います。
そういいう意味で、今のネット上にいつまでも記録されることは、人が当然持っている部分を合わせ持っていないということになります。
いつまでも自分の失敗を突きつけられ、いつまでも自分の評判を傷つけられる。
何度でも中傷され、嘲笑われるというのは、とても不幸だと感じます。
確かに、『忘れられる権利』は、ネット社会の今だからこそ、ぜひ必要なものなのだと実感しました。
とても考えさせられる本でした。